2012年07月17日
7月第2例会 (例会1200回記念 50年を振り返る)
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今回の例会は、会員にとって感慨深い例会となりました。
この例会が当クラブ設立の第1例会より数えて1200回目を迎え、ちょうど50年目の節目にあたります。
そこで通常の例会プログラムとは異なり、過去、10周年・20周年・30周年・40周年の各記念式典の思い出を下段の各ライオンに語ってもらう例会となりました。
感想の卓話を前に、過去の写真をスライドショーで映し出すという粋な計らいでスタートします。
それでははじまりです!
創立10周年 宮崎善二ライオン
10周年記念事業を行ったことについて
記念誌、記念事業を行ったのですが当時の資料がないので記憶をたどりながら話します。
当時の会長は松村幸典ライオンのお父様で私は会計を担当していました。
記念式典の会場は高田中学校の体育館で行いました。参加者の勧誘のため、高田クラブの会員が県下のクラブに手分けをして回った記憶があります。
記念事業では、当時高田になかった救急車を贈ろうという話になりましたが、金額的にとても難しく、考慮の結果、警察署の広報車両におちつきました。
その広報車両が、記念式典の当日我々を先導してくれたのですが、時速30kmで走るものですから、遅らせてはならない式典を30分も超過させてしまったことを憶えています。
創立20周年 平山昭一郎ライオン
忘れっぽいこの私に20年も前の話をせよと言われてもあまり浮かんできません。前者の宮崎ライオンの記憶力には驚かされます。
そんな中で、思い出されるのは20周年事業です。当時は会長宅が事務局みたいなもので、よくそこに集まりました。山中大成ライオンのお父様のが会長の時で、そのお宅に三役などが集まり、よく食事などしました。
私の妻も手伝いのため炊事を手伝っていましたが、私よりお酒の弱い妻が、何気なしに盃一杯の御神酒を飲んだ途端、その場にひっくり返ってしまい、夫の私も驚いてしまったことがあります。今では懐かしい思い出です。
創立30周年 加口正矩ライオン
思い浮かぶ二つの話をしようと思います。
まずは30周年記念事業です。当時の会長は小川ライオンで、私は会計をしていました。実行委員長は宮崎善二ライオンが担当していました。
記念講演では田染の荘園について中央公民館で講演を行いました。これに加えて田染荘(たしぶのしょう)に石碑を建てることにもなりました。この田染荘はすばらしい遺跡で、皇太子が昭和の町をご訪問された際にもこの荘園をご見学されたほどです。
もうひとつは、宮崎大会に参加したときのことです。この時期はバブル絶頂期であり、海沿いのすばらしい松林を伐採し、シーガイヤを建設中でした。当時、「このような巨大な建物を建てて大丈夫だろうか」という印象を持ちました。その後どうなったかは皆さんご存じの通りです。また、タクシーでの移動中に交通事故に遭い、大変な思いをした宮崎大会でもありました。
創立40周年 中村允隆ライオン
当時はクラブ会員が多い時期で70人を超えていました。そんな時期に40周年事業を行えました。このときは大和高田、島原、陸前高田の各クラブも来ていただき、とてもよい大会と祝宴であったろうと思います。こんな言い方をするのは、この大会に私はほとんど参加できずにいたからです。というのも、当日は益田ライオンのご主人様の葬儀と重なってしまい、急いで会場に戻ったときは、すでにエンディングの「また逢う日まで」を終わろうとしていました。華やかな大会の裏に悲しいこともあった大会でした。
一方、ゴルフコンペもいい思い出です。第一組で回ったメンバーが今は亡き小畑末吉ライオンです。そしてもう一人は陸前高田クラブの方で、大型スーパーの経営者でした。このスーパーは東北大震災の後、早期に立ち直ってみせました。心の中でエールを贈ったことを憶えています。
今回はいつにもまして、とてもすばらしい例会となりました。
思い出の卓話の後は、誕生月祝いです。
7月生まれの会員はとても多いですね。
今回の例会は、会員にとって感慨深い例会となりました。
この例会が当クラブ設立の第1例会より数えて1200回目を迎え、ちょうど50年目の節目にあたります。
そこで通常の例会プログラムとは異なり、過去、10周年・20周年・30周年・40周年の各記念式典の思い出を下段の各ライオンに語ってもらう例会となりました。
感想の卓話を前に、過去の写真をスライドショーで映し出すという粋な計らいでスタートします。
それでははじまりです!
創立10周年 宮崎善二ライオン
10周年記念事業を行ったことについて
記念誌、記念事業を行ったのですが当時の資料がないので記憶をたどりながら話します。
当時の会長は松村幸典ライオンのお父様で私は会計を担当していました。
記念式典の会場は高田中学校の体育館で行いました。参加者の勧誘のため、高田クラブの会員が県下のクラブに手分けをして回った記憶があります。
記念事業では、当時高田になかった救急車を贈ろうという話になりましたが、金額的にとても難しく、考慮の結果、警察署の広報車両におちつきました。
その広報車両が、記念式典の当日我々を先導してくれたのですが、時速30kmで走るものですから、遅らせてはならない式典を30分も超過させてしまったことを憶えています。
創立20周年 平山昭一郎ライオン
忘れっぽいこの私に20年も前の話をせよと言われてもあまり浮かんできません。前者の宮崎ライオンの記憶力には驚かされます。
そんな中で、思い出されるのは20周年事業です。当時は会長宅が事務局みたいなもので、よくそこに集まりました。山中大成ライオンのお父様のが会長の時で、そのお宅に三役などが集まり、よく食事などしました。
私の妻も手伝いのため炊事を手伝っていましたが、私よりお酒の弱い妻が、何気なしに盃一杯の御神酒を飲んだ途端、その場にひっくり返ってしまい、夫の私も驚いてしまったことがあります。今では懐かしい思い出です。
創立30周年 加口正矩ライオン
思い浮かぶ二つの話をしようと思います。
まずは30周年記念事業です。当時の会長は小川ライオンで、私は会計をしていました。実行委員長は宮崎善二ライオンが担当していました。
記念講演では田染の荘園について中央公民館で講演を行いました。これに加えて田染荘(たしぶのしょう)に石碑を建てることにもなりました。この田染荘はすばらしい遺跡で、皇太子が昭和の町をご訪問された際にもこの荘園をご見学されたほどです。
もうひとつは、宮崎大会に参加したときのことです。この時期はバブル絶頂期であり、海沿いのすばらしい松林を伐採し、シーガイヤを建設中でした。当時、「このような巨大な建物を建てて大丈夫だろうか」という印象を持ちました。その後どうなったかは皆さんご存じの通りです。また、タクシーでの移動中に交通事故に遭い、大変な思いをした宮崎大会でもありました。
創立40周年 中村允隆ライオン
当時はクラブ会員が多い時期で70人を超えていました。そんな時期に40周年事業を行えました。このときは大和高田、島原、陸前高田の各クラブも来ていただき、とてもよい大会と祝宴であったろうと思います。こんな言い方をするのは、この大会に私はほとんど参加できずにいたからです。というのも、当日は益田ライオンのご主人様の葬儀と重なってしまい、急いで会場に戻ったときは、すでにエンディングの「また逢う日まで」を終わろうとしていました。華やかな大会の裏に悲しいこともあった大会でした。
一方、ゴルフコンペもいい思い出です。第一組で回ったメンバーが今は亡き小畑末吉ライオンです。そしてもう一人は陸前高田クラブの方で、大型スーパーの経営者でした。このスーパーは東北大震災の後、早期に立ち直ってみせました。心の中でエールを贈ったことを憶えています。
今回はいつにもまして、とてもすばらしい例会となりました。
思い出の卓話の後は、誕生月祝いです。
7月生まれの会員はとても多いですね。
Posted by bungotakadalc at 00:00
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